諏訪大社の元旦の神事「蛙狩り神事」を見に行ってきました。以前にどのような神事なのかは記事にしたことがありますので、細かい説明は省きます。
剥製とかではなく、本当に神饌としてカエルを捧げますので、「残酷だから取りやめるべきだ」という反対派も少なからずいるようです。昨年も反対する活動家らがやってきて騒動になっています。
神社に着くと今年もそんな反対派がやって来ていました。まぁ、現代の価値観だと賛否両論あるのも致し方ないのかもしれませんし、主張自体は理解しますよ(賛同はしませんが)。ただ、主張の仕方ってものがあると思うのです。
配慮というものはないのか?
蛙狩り神事は諏訪大社本宮の東門脇を流れる御手洗川で行われます。現地に向かうと仮装行列が…
現在は西門から神社へ入るのが一般的になっていますが、本来はコチラの東門が正門です。神社という神聖な場所の、その正門の前で、元旦に、このバカ騒ぎです。
わたし、正直、これを見た瞬間から不愉快で不愉快で。元旦から凄く嫌な気分です。
活動家御一行様の御主張
まぁ、人を見た目で判断してはイケナイと幼稚園で習いましたし、ともかく主張は拝見しておきましょう。
まぁ、想像通りの御主張です。
残酷だから蛙を殺すな。
動物をみだりに殺すのは動物愛護法違反だ。
子供が見ている。
こんな類の主張をプラカード等に書いていました。
残酷だから殺すな?
この主張は分からないでもない。私だって、この神事のことを初めて知った時は衝撃的だったし、この点は賛否が分かれるのは当然のことだと思う。
命を奪わずに生きていける人間はおらず、どこかで「残酷」とも取れる行為をしているはずだが、どこに「残酷」との線引きをするのかは個人の感性に任せるしかない。
よって、この主張に対しては「うん、そうかもね。」とか、最近の流行ならば「それ、あなたの感想ですよね」としか言いようがない。
動物愛護法違反?
いやいや、みだりに殺してはないだろ。そもそも、やたらめったら殺していたら神饌としての意味・価値がない。
命が尊いからこそこういった神事がある。
生物をみだりに殺していたら、こんな神事は成立しない。太古の諏訪の民は生命の尊さを理解していた。だからこそ元旦という特別な日に、特別な神事を行っている。
そして、諏訪の文化はその価値観を脈々と受け継いできた。そのへんを無視して動物愛護とか叫ばれるのは先人に対する侮辱であるようにも思える。
子供が見ている?
子供に残酷なシーンを見せるなって話なんだろうけどね、心配しなくても見えね~から。見ようとしたって見えねぇよ。
だから本当に蛙を射抜いているかすら分からない。少なくとも私はそのシーンを見たことがない。
あとな、子供に残酷なもの見せたくないなら、このプラカードは無いんじゃない?
※残酷な描写なのでぼかしています。リンク先に修正前のものがありますので、ご覧になりたい方は自己責任でご覧ください。
「おか~さ~ん、あれな~に?」
ってなもんで、カエル軍団に近づいてきた子どもらがひきつった顔で逃げて行ったわ。
どうすんのトラウマにでもなったら?
「こんな神事をしていると子供の教育に良くない。」と言っていましたが、あぁ、そうか、それで俺はこのざまなのか?
って、ふざけんな。
敬意はないのか?
騒動にしたくないのか大社側は静観の構えでした。それを良いことに、活動家のリーダーらしきカエルが暴挙に出ました。
なんと、神事を行う御手洗川に入っちゃいました…
もうね、ここまでやると呆れてしまって…
ガサゴソと川底をあさり始めます。
見かねた地元住人が川が汚れるからと外に出るように促すと、
「女が入ると汚れるというんですか!!女性は汚れているんですか!?」って。
そういう問題じゃねぇだろ。
もうね、ダメだね。話になんねぇ。
ちなみにこの川の水は地域の生活用水としても使われており、つい先日も住民総出で川の清掃を行ったばかりだそうです。
少し下流には貯水池があり、そこには祠が祀られています。地域住民にとって大事なものであるというのがご理解いただけると思います。
しかし、活動家らには地域住民の声は届きません。
彼女らは主張します。
「最大の被害者は蛙です。」
「なぜ蛙を殺すのですか。」
「この川は諏訪大社のものではありません。」
「誰だって入って良いのです。」
「私はザリガニをとっているだけです。警察署から許可も取っています。」
ざ・り・が・に
ザリガニ!!
あ~ もう、アカン。ダメだ。本格的に話になんねぇ。
神事の時間
そろそろ神職らが出てきても良い時間なのですが、だれもやって来ません。地元の人らは「あぁ、なるほど」勘付いていました。
そうです。ここはフェイクでした。
活動家らの妨害が予想されたため、別の場所で神事を済ませていたのです。
ナイス判断! 諏訪大社!!
撤収作業が始まります。
蛙狩りを見に来ていた私ら地元民は、神事を見ることはできなかったわけですが、この作戦を大いに喜びました。みんな活動家らを訝しく思っていましたから。
撤収後
活動家らは神事の最中にパフォーマンスを行うつもりだったのでしょうが、こうなってしまえば哀れなものです。
「川に入った活動家の蛙を撮影する参拝者らの図」
そりゃ、そうです。みんなこの川の蛙を写真に収めようと早朝から集まっていたのですから。
予定と違い、だいぶデカい蛙ですが、まぁ、来たからには収めて帰らないとね。
普段だって、この川には入りませんよ。
ザックリと書いてしまえば、御手洗川ってのは神社に入る参拝者らの禊のためのものです。そんなところに人がそうそう立ち入っていいはずがありません。
ましてや、これから神事を執り行うというときに、このふざけた恰好で入るなど、言語道断。
神事を終えて
神事自体は無事に終わったようで安心しました。
活動家らが来ているというのは耳にはしていましたが、こんなことをするとは想像もしませんでした。せいぜい、抗議のシュプレヒコールくらいのものかと思っていたので、驚きです。
特殊神事が多い諏訪大社にあっても、この神事は特別風変りなものですし、「残酷だ」という主張は理解できるものです。私は賛同はしかねますが、そういう考えがあるのは当然だと思いますし、民主的な合意形成によって神事の形が変わっていくのであれば、それはそれでよいことだとも思います。
動物愛護の精神は立派なものですから、どうぞお好きなだけ活動すればよろしい。ルールとマナーを守って主張すれば良いのです。
それをどうしてこんな日に抗議活動に移すのでしょうか。それもこのようなバカ騒ぎの形で。
神事に対して、諏訪の文化や伝統に対しての敬意を一切感じません。
では、また。
※2017年の様子はコチラ
蛙狩り神事反対派のみなさん、サンリオに許可とったなんてウソでしょ?それ、著作権違反じゃない? - ヘソで茶をわかす
※2018年の様子はコチラ