「るろうに剣心」にも登場
相楽総三と言われてもピンとこない人の方が多いだろうが、20~30代くらいのものであれば、人気漫画「るろうに剣心」を通して知っている人も多いだろう。
この作品の主要登場人物である相楽左之助(さがら さのすけ)に大きな影響を与えるキャラクターとして、実在の人物ながら作品に登場した。
作中、左之助は赤報隊に憧れて家出し準隊士となった。隊長の相楽総三を師と仰ぎ、維新後も彼と同じ相楽の姓を名乗るほど尊敬していた。
そう。「二重の極み(フタエノキワミ)、アッー!」の相良左之助の恩師。
偽官軍?
さて、この作品の中でも説明されていましたが、相楽総三はもちろん、赤報隊も実在しています。慶応4年(1868)に鳥羽・伏見の戦いで新政府側が勝利すると、相楽総三は官軍の赤報隊の隊長として建白した年貢半減を旗印に征討の軍を進めていました。そんな時、相楽に帰還の命令があったのですが、引き返すことは軍略上適当でないと応じませんでした。このため偽官軍の汚名を着せられたのです。その後、相楽総三は命令に従い下諏訪本陣に出頭すると捕えられました。他の赤報隊幹部も順次捕縛され、同年3月3日友之町桀田でさらし首の刑の処せられました。
赤報隊の悲劇
このような残酷な処置となったのは、新政府として一時的な人気とりに年貢半減などを唱えたものの、実現は不可能なことは明らかであったため、これを取り消すために罪を赤報隊に被せ、偽官軍として処罰するという処置をとったのだと言われています。
これについては前述の「るろうに剣心」という作品でも非常に重要なシーンとして扱われており、この事件が左之助の人格形成に大きく影響していました。このため、同作品のファンの間でも、実在の人物でありながら、相楽総三は人気キャラクターとなりました。
名誉回復
やがて真相が明らかになってくると、「相楽総三ら赤報隊こそ維新の魁になった人たちだ!!」と同情する地元の人たちによって魁塚が設けられます。明治45年には相楽総三の孫、木村亀太郎氏が来町し、祖父の墓に参り、無実の罪を晴らそうと決意します。生涯をかける努力により、ついに昭和3年、相楽総三に正五位、渋谷総司に従五位が贈られ、はじめて冤罪がすすがれました。
地元住人により、供養祭が行われています
魁塚正面真ん中の碑が相楽総三以下8人の墓碑、向かって左に渋谷総司贈従五位の碑、その隣りが信州追分坂本で討死にした金原忠蔵ら4人の招魂碑、中央の墓碑に向って右が相楽総三贈正五位の碑、その右が高島藩で勤王の先駆をなした石城東山の招魂碑です。地元の相楽会では、今でも毎年4月3日遺族を招き供養祭を行っているそうです。
「るろうに剣心」ファンの興奮ポイント
余談ですが、下諏訪を中心にガイド活動をしているガイド仲間によると、この魁塚を含めた街歩きのガイドを行うと、魁塚の後に向かう諏訪大社春宮への途中で行程内で一番の歓声が上がるそうです。
そのスポットがここ。
けんしん=県信用金庫
こんなオチで申し訳ないです…
それにしても「るろうに剣心」恐るべし。