諏訪神社は全国のいたるところにありますが、どうしてこんな田舎の神様が全国的に信仰の対象になったのでしょうか。
皇室に連なるでもなく、権力者に優遇されるでもなく、それどころか古事記では敵役として登場し、勝負に負けて逃げ延びた神様をお祀りしています。それなのに何故たくさんの分社が作られたのでしょうか。
その有力な理由の一つに鹿食免というものがあります。今日はその鹿食免についてです。
諏訪系の神社ってどのくらいあるの
諏訪神社はなんでも分社が5,073社もあるそうです。これはお稲荷様で有名な稲荷系の神社32,000社、宇佐神社をはじめとする応神天皇をお祀りする八幡系25,000社、伊勢神宮など天照大神を祀る神明社系18,000社、菅原道真を祀る天神・天満系10544社、宗像三神を祀る宗像・厳島系8,500社、素戔嗚を祀る津島・八坂系5,651社に次ぐ数です。上位の神社が皇室に連なるものなど古くから朝廷によって重要視されてきた神社であることを考えると、ローカルな神様を祀る神社でこの数は驚異的かもしれません。
かつては満州や台湾・朝鮮などにも分社があったほどで、今でも沖縄を除くすべての県に諏訪神社があります(沖縄もあるかもしれませんが、自分は見つけられませんでした)。
何故こんなにも分社が増えたのか
一般的には全国的に諏訪信仰が広がったのは鎌倉時代のことだと言われています。以前の記事でも書きましたが、霧ヶ峰の御射山で奉納された武術の競技で際立って鮮やかな諏訪武士の技に感じ入った諸将が、「これこそは諏訪明神のご加護によるものであろう、それにあやかりたい。」っと、御分神を領国に勧請したのが全国に諏訪神社の多い理由の一つだとされています。
まっとうな理由だと思います。おそらくはこれが正解なのだろうと思います。
ですが、あえて地元で言われている別の理由を紹介します。
諏訪神社が増えた別の理由
「諏訪の勘文」というものがあります。それは「慈悲と殺生は両立する」という教えであり、これを狩猟・肉食の免罪符「鹿食免(かじきめん)」として発行してきました。
仏教が伝来すると殺生は罪悪であるとして、狩猟や肉食が禁忌となりました。しかし、これらを禁じられては長く厳しい諏訪の冬を乗り越えることができません。そこで、考え出されたのがこの神符「鹿食免」だと言われています。
これを神社から授かったものは生きるために狩猟をし、鹿肉を食べることが許されました。そのため諏訪の人々は厳寒の冬であっても自然からの恵み享受し、生活することができたのです。
諏訪の勘文
業盡有情(ごうじんのうじょう)
雖放不生(はなつといえどもいきず)
故宿人身(ゆえにじんしんにやどりて)
同証仏果(おなじくぶっかをしょうせよ)諏訪の勘文の意味
前世の因縁で宿業の尽きた生物は
放ってやっても長くは生きられない定めにある
従って、人間の身に入って死んでこそ
人と同化して成仏することができる
動物らが成仏できるように、あえて私ら人間が喰ってやろう。私らの血肉となって人と同化することによって、あいつらも成仏できるんだ。だから、肉食はむしろ善行なんだ。
っと、言っているわけです。
まぁ、ご都合主義と言えばそうかもしれませんが、合理的ではあるが神仏を蔑ろにはしない、信仰と現実の生活とを絶妙のバランスで守った名文だと私は思います。
ちなみに肉食が一般となった現在では、この札は食の安全を守る札ということになっています。話のタネにもなりますので、諏訪にお越しの際はお土産にどうぞ。
全国の武士たちの反応
そんなナイスなものがあるのかい!? だったらウチにも諏訪神社つくちゃうよ。
とは言っていないでしょうけど、鹿食免自体は武士たちにもありがたいものだったそうです。と言うのも武士たちは、たしなみとして鷹狩などの狩猟を行いますし、生き死ににかかわる仕事をしているだけに信仰心の篤い者が多かったためです。
そして、所領に諏訪神社を建てて神事として鷹狩を行う武将が現れるなど、全国に諏訪神社が広がっていきました。
…っと、諏訪では言われていますが、チョッと事実なのかどうか自信はないです。この辺はもう少し調べてみます。
合理性と寛容さ
よその国では、よその宗教では、こういうのはきっと許されないんだろうと思います。厳格さを求められ、寒かろうがなんだろうが肉食は禁止され、きっと諏訪や東北なんかは発展できなかったのではないかと思います。しかし、日本人は信仰は信仰として尊びながらも、実生活に合わせていく合理性と、それを認める寛容さをもって現代まで生きてきたのだと思います。日本人は無宗教だとか信仰心がないとか言われるのはそのせいかもしれません。
などと書いているうちに、「この札をムスリムに渡したらどんな反応を示すのだろうか?」などという事を思いついてしまったのですが、これを実行したら問題になりますかね?うん。危なそうなことは止めておこう。
では、また。