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現在でも続くカエルを神饌として捧げる神事【蛙狩り神事】

鹿食免の記事が意外と好評だったので、この路線でもう一つ投稿しようと思います。 

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諏訪大社上社の年始の神事「蛙狩り神事」について。元旦にもレポートする予定ですが、その前に予習も兼ねて投稿します。

昨日の投稿のように諏訪信仰では他では忌み嫌われる殺生が例外的に許されている場面がいくつかあります。この神事もそんな神事の一種です。

なんと、この神事、川で蛙を捕まえ、篠竹の矢を放って射抜き、神饌とするのです。

 蛙狩り神事は蛙を神饌にする神事

蛙のような小動物とはいえ、穢れを嫌う神道において、生贄ともとれる神饌を必要とする神事は全国的にみて特異なものだと思います。元旦に行われる最初の神事で、諏訪大社上社の本宮の社前を流れる御手洗川で行われます。

男が2人川に入り、神鍬で氷を割り、その下から蛙を探します。すると、あら不思議、必ず2匹の蛙が見つかります(諏訪の7不思議のひとつに数えられている)。

これを生け捕り、拝殿において柳の小弓と篠竹の矢でその胴体を射抜き、新年第一の神饌として神前に捧げるのです。

昔の話?いいえ、今も行っています

この話をすると、「今はやっていないんですよね?」とか、「剥製か何かでやるんですよね?」と言われます。でも、そんなことはないんですよ。

今でも、伝統的なやり方で神事は行われています。

つまり、毎年、2匹の蛙が元旦に神饌になっています。

少し前の写真になりますが、実際の神事の様子を順を追ってみていきましょう。

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大勢の氏子や神職が見守る中、御手洗川で蛙を探します。

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諏訪の1月はとても寒いです。御手洗川は凍りついています。それを割り、砕いて蛙を探します。

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見つけたようです。

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捕えた蛙を神職へ渡します。そして神職らは蛙と共に拝殿へ向かいます。

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拝殿にて、柳の小弓で、篠竹の矢を放ち、蛙を射抜きます。

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射抜いた蛙を神様に捧げ、宮司が「蛙狩の神事仕えまつりて大贄に仕えまつり…」と祝詞を捧げます。

何故、蛙なのか? 神事の意味は?

この神事の意味解釈は諸説ありますが、その起源は諏訪大社ができる前、諏訪明神が諏訪にやってくる以前の洩矢神が諏訪を治めていた時代や、さらに前の狩猟時代に遡るのではないかと言われています。

農耕に欠かせない雨と蛙が結びついたのでしょう。先史時代の遺跡である井戸尻遺跡からも蛙がデザインされた土器が出土しています。つまりはそんな昔から豊作を祈願して同様の神事が行われていたのではないかと推測できるというわけです。

残酷だとか言わないで

最近は動物保護の団体が抗議にくるそうです。行為自体が残酷に見えるというのはわかります。でも、それはあくまでも現代の、それも日常での話。

これは神事で、しかも大昔から脈々と続いてきた大切な伝統であり文化です。

時代に合わせて変えていくべきだという意見もあるでしょうし、それも一つの考えとしてわからなくはありません。実際に、諏訪大社の神事には現代風にアレンジして行われているものがいくつかありますし、この神事も動物愛護団体が言うような残酷な手順で行われているわけではありません。「実際はちょっと違いますが、そういうことになっています。」ってことは多いですよね。

しかし、そうやって時代に合わせて全て失って良いものでしょうか。

こういった神事というのは命の重みをわかっているからこそ行われてきたものです。決して命を軽んじているのではありません。命に価値を見いだせないのであれば、そもそも神饌としての意味がありません。

その命を捧げて、その年の豊作と諏訪の民の幸せを祈った先人たちの思いも大切にしたいものです。

 

では、また。

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