今日、4月15日は諏訪大社上社の年中行事の一つである御頭祭(おんとうさい)という祭事が行われました。これは毎年この日に必ず行われる特殊神事なのですが、例によって、ちょっと風変わりです。
御柱祭の後だと多少インパクトに欠けるかもしれませんが、紹介させていただきます。とは言え、私、今日は仕事がありましたので見に行っていません。写真は数年前に撮ったものです。
御頭祭(おんとうさい)とは
酉(とり)の祭ともいわれるお祭りで、旧暦の3月、酉の日に行われていたからだそうです。五穀豊穣を祈願するお祭りで、神使(おこう)が豊作を祈り国々を巡る前に執り行われる神事です。
かつて(鎌倉時代)は、旧暦3月の初午から13日間をかけて行われたそうですが、北条氏の滅亡と続く戦乱で、神事は有名無実になりました。その後、高島藩主諏訪頼水によってこの祭事は再興されます。
この際、諏訪郡内を15組に分けた「御頭郷(おんどうごう)」を定め、この御頭郷が輪番で祭礼に奉仕することとなりました。そして、かつてのよう数日をかける祭事ではなく、酉日の大御立座(おおみたちまし)神事のみが行われるようになったのです。これが今で言う「御頭祭・酉の祭」です。
御頭祭の様子
この祭事は諏訪大社上社固有の特殊神事で、本宮で神輿に御霊代をのせ、御旗や大きな薙鎌(なぎかま)などを持って行列をくんで、2キロほど先にある前宮に向かいます。
ここが神事のスタート地点である本宮の拝殿前です。この神輿に御霊をのせて前宮を目指します。
本宮の拝殿前から、この四脚門を通り、布橋を抜けて前宮に向かって進むのですが、四脚門と布橋の天井が低いため、氏子らは中腰で神輿を担がねばならず、かなり大変だということです。
神輿行列の様子はこんな具合です。昔は宮司・神官は威儀を正して馬にまたがって神輿を奉じたそうですが、今は馬は出てきません。だいぶ簡素化したみたいです。
御旗や、薙鎌、剣などを持ったひとが先を進みます。
その後を神輿や雅楽隊がすすみます。
役によって装いが違います。
こちらは雅楽の人たちです。演奏しながら進みます。
行列は本宮から前宮までまっすぐ進みます。ゴールは前宮の十間廊(じっけんろう・じゅっけんろう)です。
こちらが前宮の十間廊。ちょうど神事の最中です。
前宮に到着した神輿は、この十間廊に安置され、御頭郷総代も列席して神事がおり行われます。
それで、この神事が風変りというか特殊なわけです。
御頭を奉納する
上の写真の中央からやや左側に注目してください。鹿の頭があるの分かりますか?
拡大するとこんな感じ。
現在は鹿の頭部のはく製と肉を供えていますが、明治の初めころまではイノシシの頭を奉納していたそうですし、もっとさかのぼると、かつては七十五頭もの鹿が各地から寄進され、その頭部を奉納していたそうです。
ちなみに、この75頭の中には必ず耳の裂けたものがいたそうで、これは諏訪の七不思議の一つに数えられているそうです。
さて、こういうことを書くと必ず、「残酷だ」とか「野蛮だ」とか言う方がいるので、念のために書いておきます。別に意味もなく動物を殺しているとか言うことではありません。
まず、前述の通り、現在は剥製です。それからかつて鹿やイノシシの頭を奉納したのも、呪術的な話とかではなく、お祭りで神様と人がとも直会にて食事をするためのものです。要するに宴会用。天皇が即位後に行う大嘗祭でも、新天皇が歴代の天皇(神)と共に食事をしますよね。神人共食というやつです。神様と同じものを食べてつながりを深めようという信仰です。
日本人は何をされてもなかなか怒らないが、食べ物についてはにとって違うと冗談で言われますが、「食」というのは昔から日本人にとって特別なものなのです。
それから血というのは穢れとして扱われることが多いので、神社でこのような神事を行うところは少ないかもしれませんが、諏訪の神様は狩猟の神様でもありますので、こういう神事が残っているわけです。
この神事、開催は平日だろうが休日だろうが関係なく必ず4月15日なんですよね。ですから、なかなか見に行ける機会がない。来年、もし見に行けるようなら、もっと詳しく調べてから行きたいと思います。
このお祭りは伝説やら歴史やら、場合によっては嘘やデマまで色々とあるので、じっくりと検証してみたら面白いだろうなぁとは思っているのですが、そんなことをやれるのはいつになるやら…
あ、お祭りの雰囲気は茅野市の守矢資料館に行くと味わえると思います。え~っと、少しビビるかもしれませんので、ある程度覚悟していってください。
では、また。